私なりの英国靴への想い 前編|ファッションジャーナリスト 矢部 克已

私なりの英国靴への想い 前編|ファッションジャーナリスト 矢部 克已

いまや日本は世界有数の“ドレス靴大国”である。英国を中心に世界各国の“名靴”を集めたセレクトショップをはじめ、靴ブランドのオンリーショップも軒並みそろう。わざわざ現地に行かなくても、十分に素敵な靴に出合える。
振り返れば、その胎動は1980年代半ばといえるだろう。まずアメリカの「オールデン」が脚光を浴び、英国の「チャーチ」や「グレンソン」が日本の地盤を固めていった。その頃、イタリアブランドの靴といえば、「グッチ」のホースビットモカシンや、「サルヴァトーレ フェラガモ」のスリッポンぐらいしか知られていなかったのではないか。レースアップの革靴は、伝統的で保守的な英国のスタイルが主流だった。

ジョセフ チーニー クォーターブローグ フェンチャーチ

’90年代に入って間もなく、ファッションの世界では、“フレンチトラッド”が上陸する。“BCBG”という、パリ上流階級のトラッドを基本にしたスタイルである。靴のブランドでいえば、「ジェイエムウエストン」のシグニチャーローファーを合わせるのが約束だった。
一方で、“フレンチトラッド”ブームの以前から「ジョルジオ アルマーニ」を筆頭とする、イタリアのインポートブランドが日本を席巻していた。マーケットの規模は、“フレンチトラッド”よりもイタリアンブランドのほうが圧倒的に大きかった。靴ブランドでは、ツヤっぽい「チェーザレ パチョッティ」「ピノ ジャルディーニ」「ロレンツォ バンフィ」あたりが注目されていた。私はどちらかといえば、「ジョルジオ アルマーニ」のスタイルに染まったほうなので、ヴァンプの小さいパンプスのような華奢な靴も履いていたころ。いまでは懐かしい思い出である。

“クラシコイタリア”が台頭し、イタリアのクラシックに直面する

Pitti Uomo 92
Pitti Uomo 92の会場風景

バブル崩壊後、日本のメンズファッションに多大な影響を与えたのが、なんといっても“クラシコイタリア”だ。真っ先に“クラシコイタリア”を取り上げたメンズファッション誌は、『メンズEX』。’95年だった。やがてじわじわと、スーツやジャケット、シャツやニットといったイタリアのクラシックなアイテムが広まりはじめる。
そもそも“クラシコイタリア”とは何か。当サイトを閲覧する読者には、当時を知りえない方も多いと思うので、簡単に説明を。
本来“クラシコイタリア”とは、イタリアの各地方に根付く、手技を使ったファッションアイテムを手がけるメーカーを集めた協会の名前である。たとえば、しなやかなスーツを仕立てるナポリの「キートン」、繊細な縫製で極上の着用感を生み出すシャツの「フライ」、レインコートなどのアウターに職人的な手法を持ち込んだ「ヘルノ」といったメーカーなど、’86年の発足時に16ブランドが集まった。設立された理由は3つある。
まず、ハイクオリティの製品づくりを行い、男たちに上質な製品を身に着けてもらうこと。第2に、ものづくりに必要不可欠な技術の継承。つまり、巧みな手仕事の伝授だ。第3は、受け継がれてきたイタリアのクラシックエレガンスを後世にも残すこと。世界最大級のメンズファッションの展示会、ピッティ・ウォモのメイン会場の、それも最上階の一番奥に、加盟ブランドを集めた“クラシコイタリア”のブースを設けた。

ファッションエディター・ジャーナリスト 矢部 克巳さん

私がはじめて“クラシコイタリア”のブースを取材したのは、‘90年代後半。いまも忘れられない第一印象が、加盟ブランドの各スタッフの装い。流れるようなシルエットが際立つ上質なスーツを着たミラネーゼや、色鮮やかなジャケット&パンツのタイドアップスタイルできめたナポレターノのエレガントな着こなし。本来、愛想のいいイタリア人なのに、近寄りがたいスノッブな雰囲気が漂い、まったく隙がない。「これが実物の“クラシコイタリア”か」と、ため息が出たものだ。スーツに合わせていた多くの靴は、「チャーチ」や「エドワード グリーン」のレースアップ。あるいは「ジョンロブ」。イタリアの靴では、ほとんどが「ストール マンテラッシ」だった。靴の色は、黒ではなくブラウン。つまり、随所にハンドワークを活かした味のあるイタリアのスーツに合わせていた靴は、英国もので、ブラウンが鉄則だった。
 これを見たとき、私は強烈なショックを受けた。以来、クラシックなスーツに英国靴を合わせるのが、私の“スタイルの形”となった。サルトリアでオーダーした手縫いのスーツの味わいと、英国の堅牢な靴が実によく似合うのである。

伝統のドレスシューズからカントリーテイストの靴へ

ジョセフ チーニー エイボン C

クラシックなスタイルに変化をもたらしたのは、カジュアル化の波だった。2010年代に差し掛かる頃には、スーツやジャケットは、これまでの優雅なクラシックスタイルから、タイトなラインに変化した。伝統的な生地だけではなく、ストレッチ素材も使い、より軽快な仕立てで、カジュアルな表情になっていった。レースアップの靴も、内羽根から外羽根へ、プレーンのキャップトウからセミブローグやフルブローグなどの、カントリーなデザインが目につきはじめた。素材は、シュリンクレザーやスエードといった革が目立ってきたのだ。
 このスタイルの変化をとらえ、クラシックなスーツスタイルに独特なカジュアルの要素を見事にコーディネートしたのが、シモーネ・リーギさんである。リーギさんとは、当時フィレンツェで“フラージ”というセレクトショップのオーナー。それ以前は、“タイユアタイ”の創業者、フランコ・ミヌッチさんの右腕として働いていた、飛び抜けたセンスの持ち主。その着こなしは、いつもファッションブロガーたちに狙われていたほどだ。

ジョセフ チーニー エイボン Cを着用するリーギさん

2010年代の半ば、私がショップに立ち寄ると、ゆったりとしたシルエットの“フラージ”のスーツに、フルブローグの靴を合わせていたリーギさん。なんとも味わい深いスタイルに目を留めた。少し太めのパンツと重厚感のあるストームウェルトを施したフルブローグの靴が、絶妙なバランスを保ち、着こなしの妙味をまざまざと見せつけたのである。しかも、元々ブラウンの靴に、あえて黒のクリームを塗り重ねた、アンティークな色彩のグラデーションでオリジナル感を表現。さすが、フィレンツェを代表するクラシックの達人。カントリージェントルマンをリーギさん流に解釈した、クラシックモダンなスタイルは、“粋の極致”だった。

しかし、いま、あらためてリーギさんの写真を見ると、靴のデザインは5つのアイレットで、内羽根のデザイン。当時、リーギさんは、はっきりと靴は「ジョセフ チーニー」の『エイボンC』と私に言っていたが、勘違いして他のブランドの靴を履いていたのかもしれない。リーギさんのスナップ写真を見せてもらうと、確かに『エイボンC』の靴を愛用していた。
いずれにしても、リーギさんのドレッシーなスーツにカントリーな靴を合わせる着こなしは、その後、私のお手本となった“革命的なスーツスタイル”である。

ファッションエディター・ジャーナリスト 矢部 克已さん プロフィール
「ウフィツィ・メディア」代表
ファッションエディター・ジャーナリスト
矢部 克已さん

イタリア1年間の在住時に、フィレンツェ、ナポリ、ヴェネツィア、ミラノに移り住み、現地で語学勉強と取材、マンウォッチングを続ける。現在は、雑誌『MEN’S PRECIOUS』でエグゼクティブ・ファッションエディター(Contribute)を務めるほか、『MEN’S EX』『THE RAKE JAPAN』『GQ JAPAN』などの雑誌、新聞、ウェブサイト、FMラジオ、トークショーなどでも活躍。イタリアのクラシックなファッションを中心に、メンズファッション全般、グルメやアートにも精通する。

TwitterID:@katsumiyabe

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