OUR HISTORY

「ジョセフ チーニーの歴史」

ノーザンプトン州は英国の高品質な靴作りの地域として有名です。
なぜここで靴産業が発展したのかについては諸説ありますが、1600年代から靴作りに必要な革の原材料が豊富に得られたという説が有力です。17世紀までは工場というものは無く、一つの場所で靴を作るという組織立った体制が築かれたのは、それから約200年後になってからのことでした。

創業者のジョセフ・チーニー氏

創業者のジョセフ・チーニーは「B.Riley社」の工場長として働いていましたが、1886年デズバラにあるステーションロードに「J.Cheaney, Boot & Shoemakers」を構えました。当時の生産体制は現在とは異なり、多くの働き手はそれぞれの工程に特化し、自宅の庭にある離れなどの場所(SHOP)で工程毎に作業を行なっていました。

幾つかのSHOPでの工程を経た靴は、完成後に集荷所に集められ出荷されましたが、こうして作られた靴は、地元の身近な地域に供給されるだけでした。

ノーザンプトン州の伝統的な靴作り

左:約100年前の工場の様子 右:現在の様子

第1次世界大戦中、工場は忙しく稼働し、1週間で約2,500足のブーツやシューズを製造。供給先は英国全土に広がり、会社の成長に伴い製造も現代化されながらも、伝統であるハンドクラフトの製法はしっかりと継承していきました。

第2次世界大戦後、創業者の孫ディック・チーニーは海外への供給を展開し、シューメーカーとしての確固たる地位を築いていきました。
1966年にはクイーンズアワード賞を輸出部門で受賞、その後チャーチに買収され「Cheaney of England」として1967年から自社ブランドの販売をスタート。自社で在庫を抱え販売するスタイルを開始し、地元で成長していきました。1980年代中頃までには、自社ブランドのシューズ販売と他社ブランドのシューズ生産という2本柱を確立しました。

その後、2002年ロンドンに旗艦店をオープン、ブランドの認知度は一層増し、2009年にはチャーチ創業家がチャーチ(プラダグループ)からジョセフ チーニーを買収し、再び独立。1886年創業時と同様に、カッティングからファイナルポリッシュまでのすべての工程をノーザンプトン州で行い、英国伝統のグッドイヤーウェルト製法で新しいスタンダードを作り出すシューメーカーとして、これからも歩み続けていきます。

History of English Shoes

「ノーザンプトンと英国靴」

靴の聖地として名高いノーザンプトン。しかしながら、なぜこの地がそのように讃えられ、靴好きたちからの憧れの地となるに至ったのか……、それをご存知の方は意外と少ないかもしれません。ノーザンプトンはブーツとドレスシューズの発展の歴史とともに歩んできた街。革なめし産業からスタートし、やがて靴の街へと進む過程と、そこで育まれた伝統的な英国靴についてあらためて探っていきましょう。

ノーザンプトンとは?

ロンドンから約100km北上したところにある州都。

ノーザンプトンはイングランドの中東部に位置し、ロンドンから約100km北上したところにあるノーザンプトン州の州都。かつてはイングランドの首都であり、現在、人口は約20万人で面積は約80㎢、東にはケンブリッジ、南西にオックスフォードの2大都市がほぼ等距離にあり、イングランド北部の都市をつなぐ幹線道路のちょうど中間に位置するため、物流の一大拠点となっています。

郊外にはネイネイ川を中心として無数の川が流れ、牧草地が点在し、皮のなめしに必要な樫の木(オーク)の林が豊かに自生する、典型的な英国のカントリー風景が広がっています。

“靴の聖地”の由来

このノーザンプトンの名を広く知らしめているのが、英国を代表する高級靴の製造業者が集まっていること。
ジョセフ チーニー以外にもチャーチやエドワードグリーン、クロケット&ジョーンズなど名靴として誉れ高いメーカーの多くが19世紀にここで誕生し、英国の靴作りの伝統を守りながら、今でもここノーザンプトンで靴の生産を続けています。それゆえに“靴の聖地”と言われており、世界中から靴好きがこの地を訪れ、本格的なシューズ作りを学ぶ人たちもたくさん集まってきています。

なぜノーザンプトンで靴産業が栄えたのか?

安定した供給と自然の恵。

中世からイングランドの革なめし業の中心地として栄え始めたノーザンプトン。これは先ほどあげたイングランド北部をつなぐ幹線道路の中間地点であるという地の利によるところに大きく起因します。ロンドンの人口密度が伸びるとノーザンプトンは畜産業が栄え、各地への食肉供給基地となりました。それにより靴の材料となる革が安定的に供給されていたのです。

さらにノーザンプトンの自然も味方します。緩やかな丘陵地帯に囲まれ、革をなめすために必要不可欠なタンニンの元となる樫の木(オーク)が豊かに自生していました。この広葉樹は、硬さもあり靴を作るときに必要となる木型(ラスト)の材料にもなりました。さらにネイネイ川を中心とする多くの川から革なめしに必要な良質な水が得られたことも要因の1つです。こういった条件が揃っていたことで多くのタンナーが集まり、革の街へと発展。自然と伝統的な靴作りの知識も集まり、多くの靴職人を生みました。その後、産業革命を経てイングランドの靴作りの中心地となっていきます。

「革の街」から「靴の街」へ

革の街として発展したノーザンプトンがさらに靴の街へとなっていく過程において、オリバー・クロムウェルの存在は外せません。ピューリタン革命の指導者で、1642年の内戦時、自分の軍隊ために5000ほどのブーツと短靴の製作を依頼。軍隊の機動力をアップするために個人別に足サイズを測定し、革を積み重ねたヒールなどが開発されました。これが評判を呼び、以降ノーザンプトンの職人に靴のオーダーが集まるようになりました。

その後、19世紀に産業革命が起こり、農業以外の仕事をする人が増え、靴の需要が急速に伸び始めます。

1812年には、ノーザンプトンの人口の三人に一人は靴工場で働いているような状況にまでなったといいます。
手作業ですくい縫いによって作られていた英国伝統の「ハンド・ソーン・ウエルテッド」製法は、優れた履き心地でしたが、量産には不向きな技術でした。その後、19世紀にアメリカで発明された「グッドイヤーウエルテッド」製法により大量の靴を生産することが可能となり、いち早く工業化することで1910年〜30年代にはノーザンプトンは栄華を極め、靴の聖地と呼ばれるようになったのです。

現在では、生産地のグローバル化により靴メーカーの数は減少してしまいましたが、底流に流れる靴づくりへの情熱は失われることなく、長く履ける本当にいい靴を今でも生み出し続けています。

なぜ英国靴が良いのか?

英国人の「修繕を繰り返しながら長く使っていく」という価値観。

ノーザンプトンで作られる英国靴にはこのライフスタイルを反映した伝統が息づいています。それが端的に表れているのが、グッドイヤーウエルト製法。この製法で作られた靴は、丈夫で履き続けていくほどに自分の足に馴染んでくることで知られています。
アッパーとインソールをアウトソールに直接縫い付けず、ウェルトと呼ばれる一枚革を挟んで接合するため、ソール交換を容易に行えることが最大の特徴です。履いていくうちに靴底が痛んできても簡単に張り替えることができ、アッパーはそのままで、長く大切に自分のものとして履いていくことができる、まさに英国的なフィロソフィーが詰まっているのです。

大量消費に馴れた現代社会において、使い続けることによって生まれる経年変化を楽しみ、モノへの想いを満たすことができる、英国靴とはそんな存在なのです。